完全攻略!ベートーベン
メトロノーム楽譜
 
 

交響曲第三番「エロイカ」

ベートーベンは一種の現実主義者で、権威や神様という概念をおよそ崇め奉ることのなかった人物であったと伝えられています。そんなベートーベンにとって、当時フランスで起こっていたフランス革命は権威の打倒であり、自分の信念の具現でもあったのは確かなことです。そんな時代に作曲されたのが、交響曲第三番「エロイカ」なのです。


交響曲第三番「エロイカ」

ナポレオン・ボナパルト題名になっている「エロイカ(eroica)」とは、「英雄」という意味の「eroico」の女性名詞形です。音楽は女性名詞として扱われるので、一語で「英雄の音楽」という意味があるのです。交響曲第三番は、フランス革命における最後の勝利者となったナポレオン・ボナパルトが戴冠した1804年に完成を見たベートーベン最盛期の傑作のひとつです。

交響曲第三番「エロイカ」の曲調

交響曲第三番「エロイカ」は、「英雄の凱旋」を想起させる雄大でゆったりとした曲調を持っています。英雄の凱旋は、民衆に英雄の健在を示すために出来るだけゆっくりと行われるものだからです。全体的に進軍ラッパのような勇ましい雰囲気ではなく、王宮に向かう道のりを進みながら民衆に祝福される光景がまざまざと思い起こされるメロディラインを持っています。民衆の興奮と英雄の穏やかさが対比されているようなテンポは、聴く者の心に「英雄とはいかなるものか」というベートーベンの考えを深く染み渡らせるのです。

製作の背景

この交響曲第三番は、フランス革命に共感を持っていたベートーベンが最後の勝利者となったナポレオンに捧げるために制作したといわれています。しかし、近年の研究ではベートーベンの庇護者であり音楽家でもあった、ルイ・フェルディナンド公に捧げるために制作されたのではないかといわれています。

フランス革命とは

ルイ16世フランス革命は、国王を頂点とする封建国家制「アンシャン・レジーム」への不満から市民層が蜂起して起こった史上最大の革命です。当時のフランス国王ルイ16世とその妃であるマリー・アントワネットの豪奢な生活は、パン一切れさえ口に出来ないほどに困窮していた国民の感情を逆撫でしたことが原因といわれています。しかし、実際のところは国王に取り入ろうとする貴族階級がフランスの財政を破綻させ、国民を飢えさせていたようです。財政の回復になんら有効的な方策を示せない国王と、既得権益を守り政治を操って富をかき集める貴族に対する怒りが、革命の引き金を引いたといえます。

王国制の打倒に始まる混迷

1789年、政治犯を収監していたバスティーユ監獄が襲撃されたことがきっかけとなり、フランス革命が起こります。革命初期は封建国家制から立憲君主制を目指していたのですが1791年に国王一家がフランスからの逃走を図った「ヴァレンヌ事件」が発生します。これによって革命は「国王との共存」から「民衆による政治体制の確立」へと方向を変えることになります。この革命の方向転換は、国王派の貴族よりもフランス周辺の国に衝撃を与えることになります。フランス革命が飛び火して、自分たちの立場が失われてしまうことを恐れたのです。そのため、プロイセンやローマなどは革命への介入を宣言しフランス革命はよりいっそう混迷の度合いを深めていくことになります。

ロベスピエールの台頭

マクシミリアン・ロベスピエールそんな中で、革命派の主権を握ったのがマクシミリアン・ロベスピエールです。ロベスピエールは、ルイ16世と妃マリー・アントワネットをギロチンに掛けてフランスの封建国家制を崩壊させたのです。その後、ロベスピエールは革命政府内の抵抗勢力を次々とギロチンに送り込む「恐怖政治」を行い、その権力をゆるぎないものにしていきます。しかし、恐怖政治は最終的にロベスピエールの首を絞めることになります。いつギロチンの下に送られるかわからない議員たちによって、ロベスピエール一派は反逆者としてギロチンに掛けられることになったのです。

ナポレオンが得た漁夫の利

革命以後の権力者となっていたロベスピエールの退場によって、フランスは新しい混迷に導かれます。しっかりと舵取りが出来るリーダーがいなければ、革命に介入した他国に領土を奪われることになり、フランス自体が消滅する可能性が高かったのです。そこに登場したのがナポレオンです。ナポレオンはシェイエスらと共にブリューメルのクーデターを起こし、ロベスピエール以後の総裁政府を打倒し、権力を手中に収めたのです。ナポレオンはこの当時は一介の軍人で、エジプト遠征から命からがら帰ってきた状態でした。もし、このクーデターが失敗していたら敵前逃亡で裁判を受ける羽目になっていたといわれています。ナポレオンは、クーデターを主導したシェイエスらを抑えて政権を握ったのです。

ベートーベンが感じていたナポレオンへの共感

ベートーベンは、およそ権力への追従心を持っていなかったのは確かです。貴族を後援者にしていたのは実入りがいいからであって、宮廷や貴族のために音楽を作って喜ばせようという考えはありませんでした。そんなベートーベンはフランス革命の英雄となったナポレオンに共感を抱いていた節があります。

ナポレオンの出自に共感を抱いた?

コルシカ島ナポレオンは、コルシカ島の出身であることが知られています。コルシカ島は、古くからフランスとイタリアの間で奪い合われた領土で、フランス人からは見下されていました。かのマフィアは、フランスの兵士によって名誉を傷つけられたコルシカ人が興したという伝説があるほど、フランスとコルシカの間には深い遺恨があったのです。ナポレオンは、主人として君臨していたフランスの頂点に上り詰めることで、リベンジを果たした存在であるといえます。このナポレオンの出自は、ベートーベンにとって「自分の信念の具現」であると感じていたのではないでしょうか。

共感から怒りへ

しかし、ベートーベンはナポレオンに対して強い怒りを伴う失望を抱くことになります。それが1804年のナポレオン戴冠です。ベートーベンは、ナポレオンを「権力に阿らない、自分の理想の英雄」と感じていたのですが、そのナポレオンが権力の座についてしまったのでは本末転倒であるといえます。ベートーベンは「あの男も所詮俗物だったのだ!」と叫び、交響曲第三番の表紙を破り題名を書き換えたという逸話はこの時に生まれたのです。しかし、この逸話は秘書のシンドラーが後に伝記で発表したものなので、現在では信憑性が疑われています。


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